>
『通信』「長仁寺報」 一覧 ≫
法喜「長仁寺報」
法喜「長仁寺報」
第43号 京都本願道場
5月12日、京都本願道場が始まりました。言い出した当人の自分たちが不思議な気持ちでその日をお迎えしました。東本願寺の研修道場である同朋会館がお部屋を貸して下さることは以前から知っていました。寺院に送られてくる月刊誌に、貸し賃二時間1500円の掲載記事を目にすると、すぐに問い合わせの電話をして申し込みました。私たちが大分を出発して京都駅に到着するのは10時半です。駅から同朋会館までは徒歩で15分でしょうか?常照さんが11時開始にしようと決めました。
京都では唯一人、旧知の間柄である佐藤淳さんが真っ先に駆けつけて下さいました。佐藤さんは本山から近くにある大谷派寺院の前住職さんです。数年前からパーキンソン病を患っておられます。病の身を押してご参加下さいました。病気が重くなっておられるのではないか、私たちはその時まで佐藤さんの病気を見舞う電話一本もかけていなかったことに思い至りました。京都に出かけたときは、お寺に泊まらせて頂いたことも一度や二度でないのに・・・。なんとも薄情な旧知の友とも呼べない私たちです。そんなことはお構いなしに会いに来て下さり、最後まで参加して下さいました。佐藤さんは本当に若い時の私たちのことをよくご存知です。始めに住んだお風呂の無い乾役宅に居たころ、よく訪ねて来られました。二十六、七才のころです。夜遅くに来られるので、私はあからさまに迷惑そうな表情を見せていました。そんな私の対応は全く意に介さず、自分は常照さんに用事があるのだという体で、狭い部屋の真ん中に腰を下ろされるのでした。かといって、特別何か、話すことがあるわけでなく、話が盛り上がるわけでもなく、同じ時間と空間を共有したい、とでもいいましょうか、佐藤さんにとっては、その日常照さんと会ってから終りにしたいという思いがおありだったのでしょう。母親に成りたての若い私は、赤ん坊を寝かしつけたいという気持ちばかりが優先し、そんな佐藤さんの心情を思いはかることもできず、あからさまな迷惑顔でお迎えしていたことが思い出されました。それから五十年近くたとうとし、病気のご様子をお尋ねもしない私たち。よくぞお付き合い下さっています。当時を思えば、常照さんは様子が変わりましたから、佐藤さんはどのようにお感じになられたでしょう。変わったといっても、本質的なところは当時のままですから、そういう常照さんの教えを求める一途さを見ていて下さるのか、特別仲が良いわけではなく、また尊敬などでもなく、考えが一致するわけでもなく、また明らかに意見が異なって喧嘩をするでもなく、近づくこともなく離れることもなく、ご縁が続いている不思議な両者です。
京都での本願道場の様子は、常照さんも『通信』に書いておりますし、法話はユーチューブに森はる美さんが載せて下さいましたから、そちらにおまかせするとして、私はその晩、自分に起きたことを書かせて頂きます。
京都本願道場が終わると、中津から一緒だった河野久美子さんは、一足先に大分へお帰りになりました。参加下さった皆さんと同朋会館の玄関でお別れすると常照さんと私は宿泊場所の詰所へ向かいました。管理人さんの叔父さんから詰所の使い方の説明を受け、荷物を下ろすとお風呂へ向かいました。詰所にもお風呂がありますが、普通の家のお風呂を交代で使います。私たちは昔通っていた銭湯の白山湯に行くことにしました。白山湯を出るとすぐ前に食堂がありそこで夕食を取って詰所に戻りました。大広間を三つに仕切った真ん中が私たちの寝床です。両隣の声やテレビの音が聞こえます。素泊まりで五千二百円ですからこんなものでしょう。常照さんも私も灯りを消し布団に入り休みました。
夜中に目を覚ますと、まだ十二時を過ぎたところです。私は今日のご法座のことを思い出しました。河野さんは一人、馴れない新幹線で中津まで帰られたけれど、河野さんにとって、今日のご法座は大手術だったな、などと思い返しているうちに、では、私にとって、今日のご法座はどうだったかが問われてきました。
前号の長仁寺報第四十二号に書かせていただいたこと。娘が十五歳で赤ちゃんが出来、そのことが苦になってたまらなかったときに、先生からお聞きした白隠禅師のお話、その当時聞かせて頂いたときには、まったくその御心が受け取れませんでした。先生が白隠禅師のお話をされる意図がわかりませんでした。何の慰めにもならないし、なぜそんなことをお話されるのか見当もつきませんでした。先生には分っておられるのだろうくらいで治めていました。
実は、その当時のことでなく、あれからずっと受け取れないまま、表面はもう過ぎたこととして問題にしていない風をしていただけで、実際は私の十字架となっていたのです。そのことにさえも無自覚になっていたというのが実際です。四月二十五日の妙敬寺さんでのご法座でお話している最中に、「はっ!」ときました。そうだったのかあ・・。
京都の晩に話を戻します。その日、娘のことを話しているとき、参加されていた中島けい子坊守さんがおっしゃったことにドキッとしました。「自分も口やかましく言われるのが嫌な方だった」と言われたのです。私は、娘に対して口やかましい母親とは思ってもいませんでした。どちらかというと親の思いを控えて、娘に寄り添っているつもりでした。ところが、娘はそうは思っていなかったのです。今年の連休に家族が集まったとき、娘がぽろっと「うるさいから私はこの家におれなかった」と吐露したのが聞こえ、そうだったのかと言葉が出ませんでした。娘がそういう自分の思いを口にしたのを聞いたのは始めてのことで心に刺さりました。そのことをご参加の皆様に聞いていただいたのです。それを受けての中島坊守さんの御発言が思い起こされました。そうすると、御廻向でしょうか、娘が家を出て、親の元を離れ、あらぬ方へと向かっていく姿が、自分の姿として照らされたのです。如来様を足蹴に自分の思いだけを打ち立てて生きて来た自分の姿を、娘が目の前で見せてくれていた・・・。娘から踏みにじられ裏切られ悲しく惨めな気持ちは、そのまま如来様のお悲しみだった・・・。そんなことが瞬時に思われ、また同時に瞬時に深夜なのに明るくなって、うれしさがこみ上げてきました。
そこからまた少し寝たでしょうか?お隣からイビキが聞こえたり、反対のお部屋から咳払いがしたり、そういう雑音が煩わしいと感じるよりも、何かそういう名も無き衆生の一人に加えて頂いている、共に如来様に許され生かされている身なのだという実感が沸々と沸いて来て下さいました。
京都本願道場では参加者の多くが女性で、皆真剣な参加姿勢でしたから白熱しました。最後は、如来様の「お慈悲」が課題となりました。子や孫、家族への対応に苦慮しています。言っていることは間違っていないのに通じないのはどうしてなのか?自力で言ってはいないか?如来様のお慈悲があるのか?
私も常照さんからよく指摘を受けました。「お前は言っていることは間違っていないけれど、慈悲が無い」
そう言われて、慈悲が出るでしょうか?
「無い袖は振れない」のです。しかし、無いとは思っていない。一生懸命ですから。一生懸命というのが曲者です。そもそも如来様に遇ったことが無いのです。ですから自分のことも見えていません。今回の京都本願道場は白熱しました。私一人のためのご法座だったと感謝させて頂きました。
外が白々としてきたので常照さんに起きてもらい、夜中の出来事を聞いてもらいました。モーニングを食べながら話そうと思ったのに、時刻が早過ぎてどこも開いていません。私は中津へ帰るので駅へ向かいます。常照さんは続けて岐阜本願道場へ向かいますから、もう一泊京都で泊ります。駅まで一緒に歩き別れました。
一番若手の参加者だった河野さんは、常照さんはもちろん、皆から痛い指摘を受け、まるで手術を受けたようだったとこぼされました。でも、来月も参加を表明され、来月は続けてある岐阜本願道場、森本願道場、松林寺本願道場へも着いて行くことを決められました。その姿勢に感化を受けた耶馬渓の坊守さん、大山京子さんも、いっしょに連れて行って下さいと申し込まれました。その二人を見て、さらに宇佐の渡辺さんご夫妻も同行を希望されました。それは5月の輪読会の時だったのですが、私は、人から人へ目には見えない佛様の手が背中をトントンと叩いてご法座へ誘っておられるような不思議な感覚がしました。御本願の灯は人から人へ、一人の炭に火が点いたら、隣の炭に火が移ります。地味なようで、それが一番確実です。「論註」の最後にあるお譬えにある通りです。
ロバに乗って行くこともできない力のない劣夫が、善智識様の行列について歩いて行くと、たちまち虚空にかけ昇り、少しも問題なくあらゆる世界に遊行して行ける・・(意訳・・法喜)
他力の世界を現わしてあります。炭に火が点くと炭が燃えて熱を発し、湯を沸かしたり、温めたりします。活動が開始されます。
私は今、長仁寺のホームページのリニューアルをさせて頂いております。長仁寺の住職を長男の真人さんに譲り四年目になります。常照さんは長仁寺から一歩退き、本願道場の活動に精力を費やしています。常照さん、住職と相談の上、その現状に沿った本願道場をメインのホームページに模様替えさせて頂きます。『通信』と「長仁寺報」も載せていきますので、そこで読んで頂ける方は申し出て下さるとありがたいです。用紙代や郵送代が節約されます。
私たちの炭に火を点けて頂いたのは大石法夫先生です。大石先生の御書信も、第一信からホームページに掲載させて頂きます。自分の出来るところでご本願に使って頂きます。自分が炭だと自覚されるところは、もっとも暗く沈んだ最低の底です。自覚されたら底が抜けます。底下の凡夫と言われるわけです。底下の凡夫は極楽です。何をしても楽しいのです。何もしなくても楽しいのです。生きているだけで楽しいのです。どうしてこんな教えを聞かないのか、遠回りのようで一番近道なのに。かつての私のように、あらぬ方向を向いてわけもわからず突っ走っている人たちの多い世の中です。腰を下ろさないで聞き続けましょう。 法喜
なむあみだぶつ 合掌
令和七(2025)年6月
ページトップに戻る
Copyright (C) 2012 長仁寺 .Rights Reserved.
真宗大谷派 普光山 長仁寺
本願道場
〒871-0104 大分県中津市三光諌山1161-1
電話0979-43-5017